校訓
明治41(1908)年。創立者の大妻コタカが女性のための私塾を開きました。これが大妻女子大学のはじまりです。当時は女子が高等教育を受けること、まして職業婦人として社会に出て働くことは容易ではありませんでした。しかしコタカは「女子も自ら学び、社会に貢献できる力を身につけ、その力を広く世の中で発揮していくことが女性の自立につながる」と確信していたのです。その後、時代とともに私塾は手芸学校、4年制大学へと変化を遂げていきました。
校訓「恥を知れ」は大正6(1917)年に大妻技芸伝習所が正式な学校として発足するにあたって、教職員、生徒の賛同を得て制定されたものです。この校訓について、コタカは「これは決して他人に対して言うことではなくて、あくまでも自分に対して言うことである。人に見られたり、聞かれて恥ずかしいようなことをしたかどうかを自分で戒めることである」とつねづね教えてきました。