学校法人 大妻学院

お知らせ - 2012年度

  • 百人一首の編纂を学ぶ 大妻コタカ記念会文化講演会

講演会風景 立春が過ぎてもなお寒さの残る2月16日、大妻コタカ記念会(同窓会)は、午後1時30分から大妻コタカ記念会館で、平成24年度第4回文化講演会を開きました。

 卒業生から一般の方までおよそ50人が集まる中、講師を務めた文学部日本文学科の柏木由夫教授は=写真下、「百人一首の編纂~その選歌について~」をテーマに、持参した貴重な資料を示しながら百人一首を編纂した藤原定家の意図や歌に込められた想いについて講演しました。

柏木教授 教授は現存する百人一首最古の本である堯孝が写生した『百人一首』(文安2年)の複製本を示し、まず、百人一首がいかに千年もの時を超えて受け継がれてきたのかを参加者に肌で感じてもらった後、「百人一首の成立と定家」と題して、百人一首の成り立ちと藤原定家の関わりについて解説。定家の日記『明月記』(文暦2年5月27日の項)をもとに、百人一首を撰定したきっかけは、為家(定家の息子)の妻の父である宇都宮頼綱が小倉山荘の襖の装飾のため定家に色紙の作成を依頼したことであると話しました。当時は「小倉色紙」などと呼ばれていたとのこと。そして、百人一首の成立を紐解くのに欠かせないものが、その後、同じく定家によって撰された『百人秀歌』で、教授は、百人一首との大きな違いを「後鳥羽院、順徳天皇の歌がなく、新たに3人の歌が加えられたこと」と言及し、「これは定家と後鳥羽院が決裂した承久の乱が原因で、定家が修正した」と説明。さらに「小倉色紙」に後鳥羽院、順徳天皇の歌が含まれていたことに触れながら、「いま私たちに伝わる百人一首は、どこかの段階で後鳥羽院、順徳天皇の歌が加わったものだと言える」と百人一首編纂の流れをまとめました。

 次に解説したのは「選歌・構成」。教授は百人一首の配列について、冒頭の2首は天皇、末尾の2首は院であることに注目すると、豊穣と初夏のさわやかさを歌う冒頭と苦悩と嘆きを歌う末尾を比較し、あえて明暗を示すことで枠組みとして照応させていると説きました。また、「百人一首の和歌は、その一首が作者の一生を象徴する絶唱が多い」と話す教授は、恋を題材にした歌が43首と最も多く詠まれていることに触れると、その中から7首を挙げ、歌に込められた作者の強い恋心を読み解いていきました。

 予定時間を過ぎるほど盛り上がった講演会が終わると、教室のあちらこちらから「素晴らしい講演だった」「もっと知りたくなった」などという声が飛び交い、みなさんの関心の高さが感じられました。

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