学校法人 大妻学院

お知らせ - 2012年度

  • 創立者の夫・良馬にスポット 花村理事長

花村理事長 前年10月に電子書籍「オーツマeブック」の1冊として『大妻良馬の人と思想―忘私奉公の生涯』を出版したことにちなんで、花村邦昭・大妻学院理事長は、12月8日、大妻女子大学千代田キャンパス図書館で「大妻良馬の人と思想」をタイトルに講演しました=写真。2012年度としては最後になる同館第8回ラーニングコモンズ・イベント(LCE)として行われたもので、創立者・大妻コタカの夫・良馬(りょうま、1871~1929)にスポットを当てたのですが、妻の良き協力者として学校経営を支えたという内容からは、良馬が度量の広い男性だったことが伝わってきました。

 集まった斉藤恵子、呑山委佐子両名誉教授をはじめとする参加者およそ20人を前に、理事長は、「良馬の思想を一言で言うと、自分が社会の中で周囲から支えられて生活していることを感じ、その恩義に報いる『知恩・謝恩』であり、それは本学が現在掲げている教育目的『関係的自立』に通じます」と述べ、「働く大切さを重視した良馬は、実技実学を本学の教育方針としたのですが、本学が『就職の大妻』と評価されたのは、その教育理念が今も受け継がれているからでしょう。良馬の考えは今に通じる良質な教育思想の源泉です。教えを現代に活用していかなければなりません」と力説しました。

 「良馬が現代に生きていたら、どう振る舞ったでしょうか」という参加者の質問に、理事長は「自分を忘れて公のために生涯をささげる人でしたから、グローバル社会で世界のために奉仕しなさいと説いたでしょう」と答え、講演を終えました。(図書館・川上美香)

LCE講演会の様子

 LCE講演会の様子

大妻神社初訪問 例大祭に招かれて

大妻神社例大祭 花村邦昭理事長が前年9月23日、長野県松本市梓川(旧南安曇郡梓川村)倭(やまと)880にある大妻神社を初めて訪れて歓迎されたことは、12月8日のLCE講演会「大妻良馬の人と思想」の中でも触れていました。

 創立者夫妻の縁で例大祭=写真(中央神主の左隣が理事長)=に招かれたのですが、社殿の中には、大妻コタカの過去の参拝を写した写真額がいくつも掛けられ、リンゴを栽培しているというOGの方が理事長の来訪を知って、かごいっぱいにリンゴを持参してくださったことに感激したそうです。

 創立者大妻コタカは、著書『ごもくめし』(1961)に、「信州の大妻神社は先祖が祀(まつ)られてあるために存命中良馬は毎年参拝しておりましたが、私も毎年一回は参拝して先祖に感謝しております」と記しています。祭神は、土地の名前、大妻を名乗った大妻兼澄(かねすみ)で、長野県が1941年に建てた「大妻氏居館址(あと)」の石碑が今も残っているように、館を鎌倉時代に構え、1221年の承久の乱には後鳥羽院に従って戦った勤王の士と伝わります。子孫は今の高知県土佐市に移り住んで江戸時代は医家を営み、明治時代の初めに良馬はその家の三男に生まれました。千代田キャンパス大学校舎のアトリウムのあたりには1987年ごろまで旧大学校舎の建物に囲まれて、築山、池の石橋に雪見灯籠という純和風の中庭が広がり、1945年3月9日の東京大空襲で焼けるまで南側の一角に大妻神社の分社と鳥居がありました(中庭は、1987年に狭山台キャンパス1号館と2号館の間に移転復元され、社跡もあります)。

大妻神社

 写真左は、松本市の大妻神社社殿。鳥居の「大妻神社」の額の文字は東郷平八郎の筆(『ごもくめし』によると、良馬が願い出て1924年に大小2枚書いてもらい、小さい方は本学中庭の分社の鳥居に掲げられていた)。同右は昭和10年代の撮影と推定される中庭の様子。旗本佐野善左衛門邸内にあったというしだれ桜の名木「佐野の桜」(実は関東大震災で焼失し山階宮家からいただいた後継樹)や赤坂見附の閑院宮邸(現衆議院議長公邸)から下げ渡された五重塔も写っている。

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